戸田正宏

経歴/
昭和27年8月6日生まれ
昭和46年3月:
山形市立商業高等学校卒業
昭和47年3月:
日本菓子専門学校卒業
昭和47年4月~51年8月:
東京都内の菓子店を渡り歩き、菓子職人としての腕を磨く
昭和51年9月:
戸田屋菓子店入社
昭和52年3月6日:
妻とし江と結婚/モラロジー維持員となる
平成7年7月3日:
有限会社戸田屋設立/代表取締役就任
平成22年8月:
句集「新樹光」出版
趣味/
俳句・陶芸・美術鑑賞・音楽鑑賞・古寺巡礼・茶の湯・哲学等。特に最近は俳句に傾倒している。

菓人のひとりごと

菓人のひとりごと 第6章

 私が修行から帰り間もなく、あるお客様から自宅まで配達を依頼されました。まだ馴染みのお客様の顔と名前が一致していない時でしたので、お客様の顔を覚えるべく私が配達を買って出ました。ところが、似たようなところで、同姓であったため、間違って違うお宅に行ってしまいました。そこのご主人は私に頼んだ覚えがないことを告げると、「うちは○○堂からしか買わないから」と言われてしまいました。
 三十年近く経過した今も、私はその日の出来事を鮮明に覚えています。そこのご主人を恨み続けたというわけではありません。むしろ感謝をしているのです。その日から私の目標が決まったからです。「今はなんでもない平凡な菓子屋だが、いずれ必ず、うちでしか買わないお客様を沢山作ろう!」と。
 容易なことではないですが、常にそのことを念頭に置きつづけ、仕事をしました。当時は高度経済市場の波が押し寄せ、機械化が進み、菓子屋といえど支店を作ったり、あるいはチェーンストアを目指すところも多く見られ、売り上げ増に腐心していた時代でした。当店も売り上げを作りたいと思ったのは当然のことですが、それよりも、お客様のことを思いつつ菓子づくりに没頭することが、お客様に、より近づくことが出来るのではないかと考えるようになったのです。
 おかげさまで、今では当店の熱心なファンが沢山来店してくれるようになりました。お客様の中には「戸田屋さんのお菓子しか食べない」と言って下さる方も少なからず居るようです。うれしいと同時に身の引き締まる思いです。お客様の期待を裏切らないよう、毎朝神仏に手を合わせて精進をお誓いさせていただいております。

菓人のひとりごと 第5章

<自句自解>

漣(さざなみ)のふたつとなりて原爆忌

 俳句を始めて間もない頃であった。会社の経営者達でつくる、ある会の運営に携わっている私の友人が、その会の運営の難しさを嘆いていた。運営に対する批判の声があちらこちらからさざなみのように寄せてくる、というのだ。そんな会話の中から句材を拾うのは不謹慎と思うが、「漣のふたつとなる」と纏め上げた。次は季語であるが、私は八月六日生まれ、広島の原爆記念日である。原爆忌には昔から殊更強い関心を持っている。何気ない会話の中から携句が出来上がったのだが、当時私が所属していた「人」 主宰の故・進藤一考師より特選を戴いた。一考主宰は、まだ俳句を始めて間もない私の句と知るや、この句の佳さは、本人はまだ解っていないだろうと、素直に認めてはくれなかった。今改めて読み返してみると、句柄の大きさに圧倒される。厳粛な中、被爆者の悲痛の声と共に、広島と長崎からの平和への執着心が内包された、後世に残る秀句であると自負している。俳句を志すもの、このように一度や二度は、まぐれで佳い句が作れるものである。


臍の緒やまだまだ続く終戦日

 一昨年の夏の句。現在所属している「朔」中島佐渡主宰より特選を戴いた句である。もう新人とは言えないほど俳句と深く関わってしまった。季語の使い方や技法も、少しづつ身につき、自分の型も出来上がってきている。どんな句が特選句になるのかだいたい解るようになり、狙った一句である。
 戦争は誰でも嫌なもの。科学も文明も信じられないほど日進月歩に発達してきたのに、浅はかな人間の利己心の克服すら出来ず、愚を繰り返す。先日も性懲りもなくイラクと米英が戦争をして、沢山の犠牲者が出た。戦争論をするつもりはないが、戦争当事国のどちらが正義かと問われれば、人類の永い歴史をみれば明らかなように、いつの世も戦勝国が正義である。日本も例外ではなく、先の大東亜戦争の敗戦国ゆえに、欧米思想を押し付けられ、長い年月を費やして培われた日本古来の良い風習や考え方までもが否定され、自由と民主主義の名のもと、ひたすら物質の豊さだけを追い求めてきた。
 戦争の犠牲者と相場が決まっているのが女、子供である。母体と胎児を結ぶ重要な役目を果 たす臍の緒は、生きる尊さを承け継ぐ絆である。携句は、平和を生きる願望を込めて「臍の緒や」と大胆に打ち出した。しかし、果 たして日本は本当に平和で豊かな国なのだろうか。歪んでしまった日本人の心を風刺し、「まだまだ続く」の借辞として八月十五日を詠んだ句である。間違いなく私の代表句のひとつとして印象にとどまる作品である。

 そして又、今年もあの忌まわしい原爆記念日と終戦記念日がやってくる。

菓人のひとりごと 第4章

 ひところ、お菓子の名前に冠言葉を付けていた事がある。たとえば「特製」「究極」「こだわり」といったものを菓子のネーミングの前に付けていた。別 にお客様を欺こうとして使用していたわけではなく、私の商品に対する思い入れの強さを示そうとする意味でのことである。実際、材料や製法にかなり気を使い、出来た商品は我が子同然に扱っているのだから自身としては何の抵抗もなく使用していた。
 冠言葉といえば、「天然」「自然」「国産」「生」等も、いわばその類になるとおもう。小さく「濃縮還元」と表示されたジュースなどは、絞ったジュースを保存のため煮詰めて濃縮し、瓶詰めの際に水を加えて戻すやり方だ。これでは本来の栄養価は期待できない。ただの色つきの飲み物とかわらなくなる。
 天然着色料も、染料となるものは紅花やクチナシ、紅麹等だが、それらを抽出する溶剤に何を使うかが決め手だ。「エチルアルコール」ならまだしも、「抽出トコフェロール」「プロピレングリコール」等で抽出されたのなら天然の意味がなくなる。しかも、人口着色料の10分の1位 の効き目なので、多量に使用しなければならない。
 国産、地物という表現には一種の信仰的な感情が内包されている。輸入品と比べて確かにポストハーベストの面 で信頼できるが、必ずしもすべての面で優れているとは限らない。当店では国産の小麦粉を使用しているが、ふすまが多くほとんどが「中力粉」タイプなので、用途が限られてくる。無理をして食パンなどに取り入れるものだから人為的にグルテンを添加させるようなごまかしのテクニックが必要になってくる。
 「生シュー」「生どら」「生チョコ」の「生」は生クリームの意味だが、本来は、乳脂肪100%のものにしか「生クリーム」の称号を与えられていない。しかし、現状は植物性脂肪が混合された「ホイップクリーム」が数多く出回っている。商品分類も、「乳等を主原料とする食品」となっており本来の種類別 「クリーム」とは区別されている。植物性脂肪と聞いてなんとなくヘルシーなイメージを受ける人もいるとおもうが、椰子油などの油脂に水素添加して作った生クリーム状の物質にはいろいろな食品添加物が入る。
 当店で以前、「バターどら」といったヒット商品があった。どら焼きに油脂をサンドしたものであるが、本物のバターならあえて言うことはないが、ホイップクリーム同様のマーガリンを代用としていた。融点の問題でどうしてもバターが使えないのである。いきおい「マーガリンどら」と改名を検討したが、思い切って製造を止めてしまった。マーガリンとて、しょせん添加物に頼らなければ出来ないのである。
 私の尊敬する磯部晶策氏(岩波新書「食品を見わける」著者)のリポートに「食品の冠言葉」と題する文が掲載されていた。氏のリポートによれば、「冠言葉」が食品の流通 の中で重要なテクニックとして使用されている現状を指摘している。商品を売らんが為のキャッチフレーズとして過激なまでの冠言葉が横行している現在、以前のように「究極」や「こだわり」と言う表現の使用を止めてしまった。だからと言って菓子に対する思い入れは少しも変わらない。

菓人のひとりごと 第3章

健志へ

 先日は電話をありがとう。健志が決断してくれたことで、おばあちゃんはじめ、家の者みんな大喜びです。これから一緒に修業先を探すことになりますが、いずれにしろ約五年間の辛抱です。なるべく自分にとって逃げたいと思うようなところを探そうよ。あなたならどんな辛いことでも耐え抜く力があるし、きっとやり遂げてくれると思います。

 先日の電話のやり取りで気になる事がありましたので、改めて私の考えを伝えておきます。それは、「仕事は生活の手段」という事についてです。確かに、人生において仕事は生活を送る上での手段です。それでは目的は何かといえば「幸せな人生を送る事」と言えるでしょう。人生の目的を「仕事」と捉えてしまうと、仕事のためなら家庭をも省みず、何でもありという事になり金儲けだけのつまらない人生になるでしょう。私たちは、生活のために仕事をしているわけですが、その仕事にもまた、その目的があります。では仕事の目的はなんでしょう。それは、「人様のお役に立つ」事に尽きると思います。どんな職業でもそれは不変の理念です。その背後にあるのは、誰でも「人から認められたい」という願望があります。認められて初めて仕事に喜びを感じ、さらに良い仕事をしようと思うものです。そうしていい仕事をする事が「人様のお役に立つ」事になるのです。戸田屋の社訓に「忍耐、技をもって人となる」という項目がありますが、菓子屋として技術を磨いてよい仕事をすること自体が「人様のお役に立つ」事になります。いわば、仕事をする上での手段が「よい技術を身につける」事になります。

 技術を身につけるには若いうちからでないとなかなか大変な苦労がいります。ですから、健志は今という貴重な時間を無駄 に出来ないのです。健志が跡取りとして決断してくれ、これから修行を積むという事は、戸田屋の命運が懸かっているといっても過言ではない。せっかくおじいちゃんから受け継いだ「菓子屋」という職業、私は自信と誇りをもって受け継いでいます。早く健志にバトンタッチ出来る日を楽しみにしています。

 ちなみに私の仕事は「人様のお役に立つ」人を一人でも多くつくり、世の中に送り出す事です。はじめに言いました人生の目標は「幸せな人生を送る」事。自分一人だけ幸せになろうと思っても絶対に幸せにはなれない。むしろ、自分は最後でいい。みんなの幸せが先と思えたら、たとえ、まわりの人が幸せをつかむ事が出来なくても、自分が幸せになれない道理がありません。あなたも社長になったらこの事を忘れないで仕事をしてください。

 これから先の健志の益々の幸運を祈ります。

平成13年10月21日 戸田正宏

※この手紙は、20才になる息子へ送ったものです。息子健志は自分探しに上京し、フリーターとして社会に飛び込んだのですが、幾多の挫折をくり返しながら、やっと跡継ぎの決心を固めてくれました。

菓人のひとりごと 第2章

 五月半ば、俳人松尾芭蕉の足跡を訪ねて、出羽路を旅してきました。遠く雪渓を見上げ、最上川の三難所、碁点、隼の雄壮な流れに心を清め、一路、山伐刀峠へと車を走らせました。季節はもう夏というのに、山道には残雪が至るところにあり、八重桜が見事に咲き誇り、松蝉が静かに鳴いていました。俗世の喧騒にどっぷりと漬かってしまった私に、自然に順応せよと語りかけているようでした。人間は、人間の力によって何でもできると思っているが、大自然の前では惨めなほど無力な存在に見えてくるから不思議です。
 今なぜ松尾芭蕉かというと、300年も前に生きた人が、自身の完成された作品によって今なお後世に名を残していることの愕きと、趣味で俳句をはじめた私にとっての憧れだからです。

 一口に300年と申しましたが、私たち個人の300年前のご先祖の名前を挙げることのできる人は稀でしょう。このこと一つ取り上げても芭蕉の凄さが分かると思います。私たち、作句を志す人は一様に芭蕉の句に憧れ、その影響を受けています。今でも芭蕉の句は私たちの心に斬新な響きと、瑞々しい感性をもって生き続けています。

 菓子業界でも、研ぎ澄まされた感性と独自の方法で業績を上げているお菓子屋さんが増えてきています。特にオーナーシェフ(経営者が菓子職人)の店が人気を集めています。これまでの既成概念にとらわれない、自由な発想で菓子を製作し、職人の技を存分に発揮しているところが、お客様に受けているのでしょう。

 お客様の価値観は昔と比べてずいぶんと多様化してきています。好きなものは好き、嫌いなものは嫌いとはっきり自分の意志でものごとを判断します。自分の意にそぐわなければ、たとえ近所や親戚 でも買いにきてくれませんし、ひとたびお気に召していただけたなら、探してでも買いに来てくれます。
 では、私たち菓子屋にとって多様化する価値観にどのように対処すればよいのか。 プロとしての自覚と、人間としての正直さでお客様に問いかけるしかないのかなと思っています。毎日の仕事に一生懸命であるとともに、お客様に楽しんでいただこうとする遊び心、いわば、まず自分自身が楽しんで仕事をしようとすることから創造力と感性が生まれ、それが自信となり、プロとしての自覚ができてくるのだと思います。
  人間としての正直さとは、一切のごまかしを排除して、総てをさらけ出すことであると思います。一口にごまかさないと言っても、勉強不足から本人も気付かないで、結果 としてごまかしている場合もあります。この材料は、原料が何で、どんな方法で作られるのかくらいは、最低限プロとして知っておく必要があるし、添加物もなぜ入れるのか、その目的を正直にお客様に知らせるべきだと思います。
 そうした地道な努力がお客様の共感を呼び、感動となって新たな価値観をつくることとなるでしょう。策で売り上げを作る店は策で身を滅ぼします。しかし、人間としてごまかしのない生き方には、永続性があります。

 俳人、松尾芭蕉が300年もの間、私たちの心の中に生き続けてきた背景には、人間としての純粋な心と共に、自分に正直な生き方が、今尚、作品を通 じて評価され続けているからではないでしょうか。

菓人のひとりごと 第1章

 小さいときから菓子に囲まれて育った私は、菓子は、生活の一部でした。職人さんの仕事ぶりを飽きもせずじっと見つめながら、日溜まりの中にいるような心地よさに、居眠りをしてしまったり、大きなディスプレイ用のクリスマスケーキを、分からないように少しづつ舐めてしまったり、職人さんの仕事は、子供の目には、まるで遊んでいるような、楽しい仕事に見えます。そんな環境に育った私は、当然、菓子職人に道を歩みました。
 修業先は、日本菓子専門学校を経て、東京の某有名菓子店を2軒渡り歩き、初めは洋菓子を志しました。修行中は仕事を覚えるのが楽しくて、毎日朝早くから夜中まで夢中になって働いていました。
 しかし、山形に後継ぎとして帰ってきてからは、理想と現実のギャップに挫折感を覚え、加えて父が頑張って働いていたので、与えられた仕事を何の感動もなく黙々と処理していました。しかしその間も、私の理想はますます高められ、何時かきっと自分の活躍できる日がくると、ひそかに情熱を持ち続けておりました。
 バブル経済で世の中が浮き足立っている頃、哀しいかな、当店の営業形態が卸し主体であったため、ジリ貧状態となり、経営的にも精神的にも行き詰まってしまいました。しかし、幸い細々ながら店売りもしておりましたので、特徴を持たせ、全エネルギーを店につぎ込めば何とか活路が見出せるのではないかと思い、加えて理想を現実のものとするチャンスと捉え、勇気と希望をもって路線の変更にチャレンジしました。
 元来、理想に燃えていた私ですので、どんなお菓子をつくり、どんな考えで店づくりをすれば繁盛するか、おおよそ見当は付いていました。お客様を「命の恩人」とした考えのもと、苦労をしながらも、着実に自分の考えを実行に移していきました。  命の恩人に食べて頂くとすれば、安易な添加物使用や、原材料屋さんの言いなりにならず、材料をひとつずつ探し求め、自分の目で納得のいくもののみを使用し、昔ながらの製法を頑なに守り、全く新しい発想の菓子づくりを試みました。また、買って頂いたお客様の後ろ姿に、心で手を合わせながら「どうぞお幸せに」と、祈りの販売をしました。
 志し半ばにして父が他界し、寂しい思いをしておりますが、幸い、私にはたくさんの先輩や友人、協力者がいます。私のことを本当に心配してくれている人たちに支えられながら、着実に成果 を上げることができました。有限会社を設立し、新店舗をオープンさせることが出来たのも、たくさんの友人知人のおかげと、心から感謝しています。なによりも、たくさんのお客様が、私の考えに賛同し、支持して頂いたおかげで、こんなにも楽しい仕事ができます。この先、私の人生の全てをご恩返しの人生とし、ますますお客様に喜ばれるような菓子づくりと、販売に磨きをかけていこうと思っています。
 最近になって、子供の頃の、あの日溜まりの中の心地よさにも似た、職人さんとお菓子で遊んだ楽しい思い出を、お客様と共有することこそ、私の長いあいだ夢見ていた「理想」であると、確信するようになりました。菓子屋で良かったと心の底から思える自分に、なんと幸せな人生なのだろうと、毎日ご先祖様に感謝の祈りを捧げています。